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孤独なライオン
毎度コアなファンからお褒めの言葉を頂いております、飛騨のアーティストインタビュー。
ありがとうございます。
今回はレゲエダンサーの悪でっちYU-TA、名前は知ってる人多いんじゃ無いでしょうか。
ダンスはレゲエのイベントで見れますが、かなりエロい色気がある。
でも喋るとクソ面白い男。そんな印象です。
では、今回、飛騨から世界に挑戦するということでインタビューしてきました。よろしくどうぞー!
---まずは自己紹介からお願いします。
ユータ 悪でっちYU-TAです。レゲエダンサーしてます。
---年齢は?
ユータ 今年で32です。
---ハイキング(グラゼロ)と一緒やったっけ?
ユータ いやいや、マー君(ハイキング)の3つ下で、いっくん(グラゼロ イクミ)の2個下で、ファルコン(レゲエDJ)の1個上です。温(佐藤 温、画家)と一緒です。昭和61年です。
---他に誰か同級生おる?
ユータ うーん、アミちゃん(ギタリスト、音響)あとは、、、
---あんまり(ストリートカルチャー)おらん世代や。
ユータ あんまりいないかもしれないすね。

---悪でっちYU-TA、レゲエダンサーとの事で。何故レゲエダンスを始めたの?
ユータ 遅がけから始めたんです、独学で。23〜4かな、、2008〜2009年。
---結構遅いな。レゲエブーム終わった後や。
ユータ そうですね。レゲエブームの時はタオル振ってる側だったんで。
---その当時どんなアーティスト見にいってた?2008年だと湘南の風、三木道三、ムーミンの後か?
ユータ レッドスパイダー、ナンジャマン。湘南の風はオンタイムでは聞いてないんで。レゲエブームの後にコアな人達と別れていった時ですね。
---なんか色んなジャンルでごちゃっとしてた時期なんかな。
ユータ その辺はクラブミュージックは結構きてた時代ですね。箱も毎週パンパンで、CDも売れて、みたいな。
---クラブ全盛の時か。どこで最初にくらったの?
ユータ 僕は新潟ですね。
---そこに繋がるんや。(新潟に現在もユータがレギュラーのダンスイベントがある)
ユータ そうなんです。それでそうなるんです。当時大工やっていて、仕事の出張で新潟いってて。レゲエ自体は高校から聞いてたんですけど、、、まぁ出張で現場と宿との往復に嫌気がさし、爆発しそうで。笑。新潟の街をブラついていたらストリートショップがあり、、、
---ストリップショップ?
ユータ ストリートです。笑。ストリップだったらまた違う人生になってましたね。笑。ストリートショップ、服とか音楽とかスケボーとか。そこの店長と話してて、、、レゲエ好きです、って。そしたらその頃丁度レゲエダンスの現場のDVDとか出だしてて。
---その頃ってレゲエダンスの認知度はどんな?
ユータ ほぼゼロですね。大阪、東京の一部の人だけって感じで。レゲエダンス=女の子が尻ふるまでもいってない。丁度その頃ウサインボルトが走った後にパフォーマンスでナリンガーっていうダンス踊って「なんだあれは」って注目され出してった感じです。で、店長さんにDVD見せてもらって、これとか行ってみ、って言われてフライヤー渡されて。で、その週やってたイベント行ったんですけど、それが今俺がレギュラーでやってるジャミングっていうイベントなんです。
---そこからずっとなんやもな。
ユータ はい。行ってみたら誰がダンサーなのかとかわからんけど、そういうの関係なく、全員が踊ってたんですよ。それまでのレゲエのイメージは音聞いて手あげたり、タオル振ったりだったんですけど、そのイベントは夜のクラブで男女問わず踊る。しかも超汗だくで。笑。凌ぎあう感じが格好良くて。カルチャーショックでしたね、ヤベーって。気づいた時は俺も踊ってましたね。
---初日からガッツリ踊って。
ユータ はい。そのイベントは凄くフレンドリーな感じで、、、友達もできたし。その頃はまだツイッターとか無かったからその場で顔と名前覚えて。
---結構その新潟には長い事おったの?
ユータ 3ヶ月位。その間に5回位イベント行ったかな。
---新潟でクラって、飛騨に帰って来て、、、
ユータ 新潟にいるときに、飛騨のツレ4人位がわざわざ遊びに来てくれて。せっかくやでって一緒にクラブで遊んで。そしたらみんなハマっちゃって。こんなの岐阜にもあるかな?って調べたけどわからず、、、。そんなら自分らでやった方が早くね?ってなって。真似事なんすけど古川のカラオケベックてとこでパーティールーム借りてはじめたって感じです。
---カラオケ屋で始めたんや。笑。まだグラゼロとは繋がってない?
ユータ 今思い出すと恥ずかしすよ。笑。そのカラオケ屋のイベントはビギナーズラックっていう初心者大歓迎の無料イベントだったんですけど、同時期にグラキン(グラゼロがやってたイベント)が始まったんすよ。
---グラキンってその辺からなんや。もっと前から、、、それは爆心地か。
ユータ そうそう。その頃はまだグラゼロの事知らなくて。で自分らのイベントにも結構お客さん来てくれてて。80〜100人位。
---カラオケ屋に?スゲーな。
ユータ 結構カオスでしたね。「クラブ行くのは怖い、けどそういうイベント行きたい」みたいな子がいっぱい来てくれて。県外から来てくれたり。13〜14回やったかな。で、同じ時期にグリーンパークで爆心地があったり、始まったばっかのグラキンも行ったりしてるうちにグラゼロのいっくん、マー君と仲良くなって。
---その時ユータはダンサーやったの?セレクター?
ユータ ないんていうかな、パリピです。
---パリピなんや。笑。オーガナイザーなんやろ?
ユータ 格好良く言えばね。笑。そのカラオケ屋で友達も出来たし輪も広がったし。グラゼロも回しに来てくれたり。ファルコン、DK、馬神も来てくれたし。ラット君、ソウルブレイズも。
---カラオケ屋なのにけっこうなイベントやったんやな。
ユータ イベントやりながらサウンドごっこもやって、ショーケースもやりたいなって感じで、ダンスやろーぜってなって。その頃はもうマイクロも遊びに行ってて。そしたらマイクロの7周年のイベントの時にダンサーで出てくれんか?ってなって。
---そっからダンサーなんや。
ユータ そうです。それが2010年。
---今が2018年、、、最近やな。
ユータ その時始めて、ダンサーとしてアー写(アーティスト写真)撮って、名前決めて。
---その時から悪でっちゆーたなの?
ユータ その時はイベントを4人組のRTRって名前でやってて、ダンサーとして活動する時に3人になったんですけど、名前はそのままRTRでいきました。
---8年前?そこから独学であの踊りなの?凄いな。若い時からダンスやっとるんやと思っとった。
ユータ 本当すか?ダンスは全然。学生の時はサッカーひとすじだったんで。俺的にはダンスは習うもんじゃ無いというか。習いに行くって発想は無かった。
---アミちゃん(ダンスホールガールアミ)より後輩なんやな。
ユータ そっすね。アミちゃんは先輩です。あやマンなんかも、そのビギナーズラックってイベントで遊んでて。その頃は女の子めっちゃ元気で。7〜8割女の子やったっすね。
---やりたい放題やないすか。
ユータ 笑。女の子いっぱい来るから、男も集まる。今じゃ考えられない光景でしたね。フロアの大半女の子だったんで。
---今のレゲエダンサーの体育会系のりじゃなく、、、
ユータ そうそう。みんなで輪になって踊るみたいな。
---今の子たち怖い?もんな。
ユータ 怖いすか?笑。格好良すぎる感じみたいな?まぁ、演者が何を格好良いと思うか、ですね。昔からそういうBADな感じの子はいたんで。クールな。あれはあれで格好良い。

---その後は?
ユータ しばらくRTRでやってたんですけど、一人は仕事が忙しくなって抜け、2人になった時に、(方言の)悪でっちの複数系で、悪でっぢにして。その後、残った一人も結婚して抜けるってなった時に悪でっちYU-TAって名前にしたのが2011年です。
---最近やな。俺は店始めた年やな。
ユータ そうなんすか?その頃はイサム君の事知らないすよね?
---知らんと思う。ずっとピンでダンスやっとるイメージやったけど、結構最近なんやな。
ユータ ダンサーの前にお客さんから入ったんで、、、最初の頃はショーケースも年に3本位とか。今は年に50〜60営業いってます。G’JAP-ROCKやってた時は年間の土曜日の数より営業の方が多かったっすね。3連チャンとかザラやったし。一番多い時で70本とか。
--- お、やっとG’JAPの話が出ましたね。
ユータ 長くなるすよ?笑
---長くなるよね?笑。今は G’JAP無いもんな?
ユータ 無いですね。
--- G’JAPやりだした頃には俺はユータと繋がっとったもんな。何となく流れは知ってるけど。
ユータ G’JAP結成は2015年です。2013年に一人で名古屋のダンスバトルのイベント出た時、岐阜から4人出てたんですよ。顔は知ってたんですけど歳も地元もバラバラなんで、現場であっても挨拶程度で、、、挨拶もしんくらいかな。笑。その時はピンだったんで、どの現場いっても全員敵やと思ってたんで。誰よりも自分がボスる(盛り上げる)、って気持ちで。ダンサーの友達作る気なくて。で、そのバトルのイベントは俺以外の3人は初戦敗退、俺が準優勝で。その時審査員やった人に「そろそろユータも自分がゴイゴイやるのも必要やけど、岐阜をまとめた方がいいんじゃないか」って言われて。そんな事考えた事無かったんで、自分なりに考えて。変なコラボするくらいならチーム作ろって。その頃シーン的にもチーム作って、振りを揃えて迫力を出すってのが主流やったし。元々チームの方やってたんで、そっちのが好きなんやけど、解散するの辛かったんでもうあんなの味わいたく無いって思ってたんですけど、、、
---辛かった?
ユータ 辛かったす。笑。純粋に寂しかったっす。
---俺を一人にしないでくれ!って。笑
ユータ 毎週のように一緒に踊ったツレがいきなり居なくなる。仕事とか結婚が理由やでなんも言えんし、、、。車でみんなでワイワイ移動してたのがいきなり一人になる。ツライっしょ?
---だってユータは一人でおれん子やもんな。笑。
ユータ ハイ。笑。いや、一人も好きですよ。
---だってユータは喋ってないと死ぬんやろ?
ユータ それはあります。笑。まぁ、そんな感じでやるからにはちゃんとしたのやりたくて。 その年に大阪の“アタックデン”っていうダンサーチームがジャマイカで世界一獲って。チーム作るならこれに勝つ気持ちのチームじゃないとやりたくないなって。
---そういう気持ちでチーム始めたんや。チームの他の子、hide-cとか?喋った事あんまりないけど、、、
ユータ 郡上、多治見、可児、美濃加茂、高山の5人で、本気でやる気あるならやろう!って。結果的に3年間やったっすね。
---最後は一人ずつ抜けてったの?
ユータ いや、いっぺんにガッと。結構迷ったけど、最終的には、、、なんか、無理矢理やらせたら意味ないじゃないすか。
---そやな。会社じゃないし、社長じゃないし。
ユータ 会社なら良い思いさせればいいけど。そんなんじゃないし。そこは俺も足りてない部分もあったなかなと。
---上下関係みたいなのあったの?
ユータ ありましたね。俺そういうのちゃんとしたい人なんで、キッチリ。笑。締めるところは締める。年は俺が真ん中やったすけど、ダンサーなら実力世界でって事でキッチリと。
---じゃあ、 G’JAPやめるってなった時は、ちょっと違ってきたんや?何かが足りんというか。
ユータ そうですね。覚悟なりビジョン、ウェイトの置き方、、、。方向性の違いとも違うかな、、、終わるべくして終わったかなと。全然今も仲良いし、相当みんなで話し合ったんで。涙、涙の、、、笑。でも目標は実現しんかったけど、解散する年に大阪のダンスのコンテストにエントリーしたら、結成当時に掲げた目標のチームの人が審査員でおる、っていう状況は作れた。結果俺ら2位やったんすけど、、、その後話ししとったら「今日本が求めとるカードは G’JAPとアタックデンやぞ」って言ってくれて。頑張ったかいあった。
---その時の G’JAPってレゲエダンスでは全国区でしょ?ダイレクトも出て。
ユータ そうですね。もっとメンバーみんなに G’JAP利用してもらいたかった。あのメンバーやであれだけやれたと思ってるんで、感謝してます。
---いい感じやったよ。毎回盛り上がっとったし。
ユータ 嬉しいす。惜しまれつつ、、
---惜しまれる暇もない感じやったけどな。
ユータ あっという間やったっすね、結構これからって感じもあったし。
---俺らの時代にも、良い感じに売れ始めたバンドがあって、さぁ今からメジャーデビューだ!ってタイミングで解散したバンドおったの思い出した。
ユータ いますよね。どの時代にも。
---見とる夢の大きさに、メンバーが耐えられなくなる。
ユータ 完全にそれ、あるっすね。
---これこのまま突っ込むと、普通の生活できんくなるって、メンバーの中に一人でもおるとそこで足が止まってしまう。
ユータ 言われたっすもん。「俺には G’JAPは重たかった」って。
---仕事に重きを置いて、その人の10年後、20年後を考えたらその方が正しいかったりする。
ユータ その人の人生ですからね。しょうがない。ただ、その人の人生にちょっとでも携われたのは揺るがない事実なんで。
---これからユータがいい感じなら余計にいーよな。
ユータ はい。そうすれば G’JAPもカッコいいままなんで。胸張ってそう言ってもらえるように思ってます。
---ピンになったの最近やんな?
ユータ 今年頭ですね。でもその時には寂しさとか、メンタル的な迷いは無かったすね。
---今は現場全部ピンで?
ユータ そうですね。コラボしたり。 G’JAPのhide-cは今もやってるんで、そこともコラボしたり。

---そして、今回のインタビューのメインディナーのジャマイカの話しにやっといけると。
ユータ そうですね。笑。ここからが山場です。
---今何分や?38分。まだいける。笑。
ユータ ジャマイカ行き、これ凄い展開なんですけど、、、例えばサッカーでも野球でも、プロのあの選手に憧れてって、あるじゃ無いですか。俺もそうだったんです。レゲエダンサーで、「あの人カッコいいな」って人と
活動する。それが今から行くジャマイカです。
---そーなんや。
ユータ 当時、俺が新潟で見たあのDVDに出てた人、その映像の中の人と俺がお互い認め合って、一緒にやるっていう。
---凄いなぁ。まさかDVDの中の人と一緒に踊って、ジャマイカ行く。 G’JAP辞めたで、その話が来た訳やな。
ユータ 完全にそうですね。あっちは待ってましたね。
---その絵を描けるというか、最近思うんやけど、結局は実行出来るイメージが作れるかどうかやもんな。
ユータ 俺は結構そこは根拠のない自信というか。それを掲げてまえば、後はやるしか無い。そうやってやってきたんで。
---逃げずにな。たいしたもんやわ。
ユータ そんな事無いす。でも絶対、誰かが見てくれてる。その時同じとこ目指してる人とかが絶対見てくれて、手を差し伸べてくれる。だからチャンスは自分で作るもんやなと。そのチャンスに気付けるか、と、そのチャンスを活かせるかが勝負やと思う。
---チャンスの女神には前髪しか無い。
ユータ どういう事すか?
---前からめっちゃ可愛い女神が来て掴もうとしても、通り過ぎたあとは後髪がないから掴めん。
ユータなるほど。それありますね。実際、今そうなんですけど、、、。
---じゃあ、今、眼の前にあるチャンスがジャマイカなんやな。
ユータ そうですね。昔憧れやった人と一緒に行くっていう。それがありがたいし。レゲエの本場ってジャマイカじゃないすか。レゲエやってる日本人の中でもジャマイカが全てって人もおれば、そうじゃないって人もいる。俺は後者で、全てじゃないって思ってる。俺、日本人やし、拠点は日本やし、日本のやり方があると思うし。でも、ジャマイカ行ったこと無い奴が、ジャマイカが全てじゃ無いって言うのも説得力ないなと。だから一回行って、ありのままを受け止めようって思ってたタイミングで大阪のそのダンサーから誘われて。
---世界大会に出ると。
ユータ ただ行くだけじゃなくて、大会があるでそれに出ようって。
---ゆうたら日本代表。
ユータ に、なれるかっすね。実際日本からは俺らしか出ないけど。
---どのくらいの規模の大会なの?
ユータ 世界大会すよ。こっちで言うレッドブルの大会みたいな感じです。
---おー、んー、かなりガチな?
ユータ ジャマイカのブーンって会社の企画する、サウンドのクラッシュの大会もあるし、ダンスの大会もある。今ジャマイカで予選をやってて、7月末に決勝なんです。
---そんなでかい大会にいきなり決勝からでれると。
ユータ そうすね。笑。ありがたい事にシード枠で、、、。挑戦しに行ってます。
---こないだ市役所であったもんな。パスポートゲットしてましたね。笑
ユータ これで世界一とれば、今後も変わってくる。日本人には日本人の良さがあるんで、そこを武器にすれば戦えると思う。
---8年前は考えられんかったやろうな。ナンパしとっただけやろ?笑
ユータ いやいやいや、される側だったんで。笑。でも本当、未来は変えるもんやなって思う。
---俺がインタビューした人、みんなそんな感じやもんな。本人がやりたいとこまではいけるみたいです。さて、そろそろ時間ですので、、、締めの言葉を。今後の目標とか。
ユータ お、締めますか。ざっくり言うと、俺にしか出来んことやり続けようと思ってます。ジャマイカでも自分のフィルター通して、いろんなもの吸収してきたい。
---ま、後は文章力で何とかしときます!笑。ありがとうございました。
ユータ インタビュー、全部で1時間50分すね。笑。文章力でなんとかしといて下さい!笑。ありがとうございました!
このインタビューが公開される頃、悪でっちYU-TAはジャマイカです。
悪でっちYU-TA インスタアカウントで最新のジャマイカの様子見れます。是非チェック!
https://www.instagram.com/lion_alone18

インタビューは90分録ったんやけど、後半全部カットしました。笑
悪でっちYU-TAなら飛騨、岐阜、日本、世界?を騒がす面白い事してくれると思います。
期待してます!
そしゃ、また!
ありがとうございます。
今回はレゲエダンサーの悪でっちYU-TA、名前は知ってる人多いんじゃ無いでしょうか。
ダンスはレゲエのイベントで見れますが、かなりエロい色気がある。
でも喋るとクソ面白い男。そんな印象です。
では、今回、飛騨から世界に挑戦するということでインタビューしてきました。よろしくどうぞー!
---まずは自己紹介からお願いします。
ユータ 悪でっちYU-TAです。レゲエダンサーしてます。
---年齢は?
ユータ 今年で32です。
---ハイキング(グラゼロ)と一緒やったっけ?
ユータ いやいや、マー君(ハイキング)の3つ下で、いっくん(グラゼロ イクミ)の2個下で、ファルコン(レゲエDJ)の1個上です。温(佐藤 温、画家)と一緒です。昭和61年です。
---他に誰か同級生おる?
ユータ うーん、アミちゃん(ギタリスト、音響)あとは、、、
---あんまり(ストリートカルチャー)おらん世代や。
ユータ あんまりいないかもしれないすね。

---悪でっちYU-TA、レゲエダンサーとの事で。何故レゲエダンスを始めたの?
ユータ 遅がけから始めたんです、独学で。23〜4かな、、2008〜2009年。
---結構遅いな。レゲエブーム終わった後や。
ユータ そうですね。レゲエブームの時はタオル振ってる側だったんで。
---その当時どんなアーティスト見にいってた?2008年だと湘南の風、三木道三、ムーミンの後か?
ユータ レッドスパイダー、ナンジャマン。湘南の風はオンタイムでは聞いてないんで。レゲエブームの後にコアな人達と別れていった時ですね。
---なんか色んなジャンルでごちゃっとしてた時期なんかな。
ユータ その辺はクラブミュージックは結構きてた時代ですね。箱も毎週パンパンで、CDも売れて、みたいな。
---クラブ全盛の時か。どこで最初にくらったの?
ユータ 僕は新潟ですね。
---そこに繋がるんや。(新潟に現在もユータがレギュラーのダンスイベントがある)
ユータ そうなんです。それでそうなるんです。当時大工やっていて、仕事の出張で新潟いってて。レゲエ自体は高校から聞いてたんですけど、、、まぁ出張で現場と宿との往復に嫌気がさし、爆発しそうで。笑。新潟の街をブラついていたらストリートショップがあり、、、
---ストリップショップ?
ユータ ストリートです。笑。ストリップだったらまた違う人生になってましたね。笑。ストリートショップ、服とか音楽とかスケボーとか。そこの店長と話してて、、、レゲエ好きです、って。そしたらその頃丁度レゲエダンスの現場のDVDとか出だしてて。
---その頃ってレゲエダンスの認知度はどんな?
ユータ ほぼゼロですね。大阪、東京の一部の人だけって感じで。レゲエダンス=女の子が尻ふるまでもいってない。丁度その頃ウサインボルトが走った後にパフォーマンスでナリンガーっていうダンス踊って「なんだあれは」って注目され出してった感じです。で、店長さんにDVD見せてもらって、これとか行ってみ、って言われてフライヤー渡されて。で、その週やってたイベント行ったんですけど、それが今俺がレギュラーでやってるジャミングっていうイベントなんです。
---そこからずっとなんやもな。
ユータ はい。行ってみたら誰がダンサーなのかとかわからんけど、そういうの関係なく、全員が踊ってたんですよ。それまでのレゲエのイメージは音聞いて手あげたり、タオル振ったりだったんですけど、そのイベントは夜のクラブで男女問わず踊る。しかも超汗だくで。笑。凌ぎあう感じが格好良くて。カルチャーショックでしたね、ヤベーって。気づいた時は俺も踊ってましたね。
---初日からガッツリ踊って。
ユータ はい。そのイベントは凄くフレンドリーな感じで、、、友達もできたし。その頃はまだツイッターとか無かったからその場で顔と名前覚えて。
---結構その新潟には長い事おったの?
ユータ 3ヶ月位。その間に5回位イベント行ったかな。
---新潟でクラって、飛騨に帰って来て、、、
ユータ 新潟にいるときに、飛騨のツレ4人位がわざわざ遊びに来てくれて。せっかくやでって一緒にクラブで遊んで。そしたらみんなハマっちゃって。こんなの岐阜にもあるかな?って調べたけどわからず、、、。そんなら自分らでやった方が早くね?ってなって。真似事なんすけど古川のカラオケベックてとこでパーティールーム借りてはじめたって感じです。
---カラオケ屋で始めたんや。笑。まだグラゼロとは繋がってない?
ユータ 今思い出すと恥ずかしすよ。笑。そのカラオケ屋のイベントはビギナーズラックっていう初心者大歓迎の無料イベントだったんですけど、同時期にグラキン(グラゼロがやってたイベント)が始まったんすよ。
---グラキンってその辺からなんや。もっと前から、、、それは爆心地か。
ユータ そうそう。その頃はまだグラゼロの事知らなくて。で自分らのイベントにも結構お客さん来てくれてて。80〜100人位。
---カラオケ屋に?スゲーな。
ユータ 結構カオスでしたね。「クラブ行くのは怖い、けどそういうイベント行きたい」みたいな子がいっぱい来てくれて。県外から来てくれたり。13〜14回やったかな。で、同じ時期にグリーンパークで爆心地があったり、始まったばっかのグラキンも行ったりしてるうちにグラゼロのいっくん、マー君と仲良くなって。
---その時ユータはダンサーやったの?セレクター?
ユータ ないんていうかな、パリピです。
---パリピなんや。笑。オーガナイザーなんやろ?
ユータ 格好良く言えばね。笑。そのカラオケ屋で友達も出来たし輪も広がったし。グラゼロも回しに来てくれたり。ファルコン、DK、馬神も来てくれたし。ラット君、ソウルブレイズも。
---カラオケ屋なのにけっこうなイベントやったんやな。
ユータ イベントやりながらサウンドごっこもやって、ショーケースもやりたいなって感じで、ダンスやろーぜってなって。その頃はもうマイクロも遊びに行ってて。そしたらマイクロの7周年のイベントの時にダンサーで出てくれんか?ってなって。
---そっからダンサーなんや。
ユータ そうです。それが2010年。
---今が2018年、、、最近やな。
ユータ その時始めて、ダンサーとしてアー写(アーティスト写真)撮って、名前決めて。
---その時から悪でっちゆーたなの?
ユータ その時はイベントを4人組のRTRって名前でやってて、ダンサーとして活動する時に3人になったんですけど、名前はそのままRTRでいきました。
---8年前?そこから独学であの踊りなの?凄いな。若い時からダンスやっとるんやと思っとった。
ユータ 本当すか?ダンスは全然。学生の時はサッカーひとすじだったんで。俺的にはダンスは習うもんじゃ無いというか。習いに行くって発想は無かった。
---アミちゃん(ダンスホールガールアミ)より後輩なんやな。
ユータ そっすね。アミちゃんは先輩です。あやマンなんかも、そのビギナーズラックってイベントで遊んでて。その頃は女の子めっちゃ元気で。7〜8割女の子やったっすね。
---やりたい放題やないすか。
ユータ 笑。女の子いっぱい来るから、男も集まる。今じゃ考えられない光景でしたね。フロアの大半女の子だったんで。
---今のレゲエダンサーの体育会系のりじゃなく、、、
ユータ そうそう。みんなで輪になって踊るみたいな。
---今の子たち怖い?もんな。
ユータ 怖いすか?笑。格好良すぎる感じみたいな?まぁ、演者が何を格好良いと思うか、ですね。昔からそういうBADな感じの子はいたんで。クールな。あれはあれで格好良い。

---その後は?
ユータ しばらくRTRでやってたんですけど、一人は仕事が忙しくなって抜け、2人になった時に、(方言の)悪でっちの複数系で、悪でっぢにして。その後、残った一人も結婚して抜けるってなった時に悪でっちYU-TAって名前にしたのが2011年です。
---最近やな。俺は店始めた年やな。
ユータ そうなんすか?その頃はイサム君の事知らないすよね?
---知らんと思う。ずっとピンでダンスやっとるイメージやったけど、結構最近なんやな。
ユータ ダンサーの前にお客さんから入ったんで、、、最初の頃はショーケースも年に3本位とか。今は年に50〜60営業いってます。G’JAP-ROCKやってた時は年間の土曜日の数より営業の方が多かったっすね。3連チャンとかザラやったし。一番多い時で70本とか。
--- お、やっとG’JAPの話が出ましたね。
ユータ 長くなるすよ?笑
---長くなるよね?笑。今は G’JAP無いもんな?
ユータ 無いですね。
--- G’JAPやりだした頃には俺はユータと繋がっとったもんな。何となく流れは知ってるけど。
ユータ G’JAP結成は2015年です。2013年に一人で名古屋のダンスバトルのイベント出た時、岐阜から4人出てたんですよ。顔は知ってたんですけど歳も地元もバラバラなんで、現場であっても挨拶程度で、、、挨拶もしんくらいかな。笑。その時はピンだったんで、どの現場いっても全員敵やと思ってたんで。誰よりも自分がボスる(盛り上げる)、って気持ちで。ダンサーの友達作る気なくて。で、そのバトルのイベントは俺以外の3人は初戦敗退、俺が準優勝で。その時審査員やった人に「そろそろユータも自分がゴイゴイやるのも必要やけど、岐阜をまとめた方がいいんじゃないか」って言われて。そんな事考えた事無かったんで、自分なりに考えて。変なコラボするくらいならチーム作ろって。その頃シーン的にもチーム作って、振りを揃えて迫力を出すってのが主流やったし。元々チームの方やってたんで、そっちのが好きなんやけど、解散するの辛かったんでもうあんなの味わいたく無いって思ってたんですけど、、、
---辛かった?
ユータ 辛かったす。笑。純粋に寂しかったっす。
---俺を一人にしないでくれ!って。笑
ユータ 毎週のように一緒に踊ったツレがいきなり居なくなる。仕事とか結婚が理由やでなんも言えんし、、、。車でみんなでワイワイ移動してたのがいきなり一人になる。ツライっしょ?
---だってユータは一人でおれん子やもんな。笑。
ユータ ハイ。笑。いや、一人も好きですよ。
---だってユータは喋ってないと死ぬんやろ?
ユータ それはあります。笑。まぁ、そんな感じでやるからにはちゃんとしたのやりたくて。 その年に大阪の“アタックデン”っていうダンサーチームがジャマイカで世界一獲って。チーム作るならこれに勝つ気持ちのチームじゃないとやりたくないなって。
---そういう気持ちでチーム始めたんや。チームの他の子、hide-cとか?喋った事あんまりないけど、、、
ユータ 郡上、多治見、可児、美濃加茂、高山の5人で、本気でやる気あるならやろう!って。結果的に3年間やったっすね。
---最後は一人ずつ抜けてったの?
ユータ いや、いっぺんにガッと。結構迷ったけど、最終的には、、、なんか、無理矢理やらせたら意味ないじゃないすか。
---そやな。会社じゃないし、社長じゃないし。
ユータ 会社なら良い思いさせればいいけど。そんなんじゃないし。そこは俺も足りてない部分もあったなかなと。
---上下関係みたいなのあったの?
ユータ ありましたね。俺そういうのちゃんとしたい人なんで、キッチリ。笑。締めるところは締める。年は俺が真ん中やったすけど、ダンサーなら実力世界でって事でキッチリと。
---じゃあ、 G’JAPやめるってなった時は、ちょっと違ってきたんや?何かが足りんというか。
ユータ そうですね。覚悟なりビジョン、ウェイトの置き方、、、。方向性の違いとも違うかな、、、終わるべくして終わったかなと。全然今も仲良いし、相当みんなで話し合ったんで。涙、涙の、、、笑。でも目標は実現しんかったけど、解散する年に大阪のダンスのコンテストにエントリーしたら、結成当時に掲げた目標のチームの人が審査員でおる、っていう状況は作れた。結果俺ら2位やったんすけど、、、その後話ししとったら「今日本が求めとるカードは G’JAPとアタックデンやぞ」って言ってくれて。頑張ったかいあった。
---その時の G’JAPってレゲエダンスでは全国区でしょ?ダイレクトも出て。
ユータ そうですね。もっとメンバーみんなに G’JAP利用してもらいたかった。あのメンバーやであれだけやれたと思ってるんで、感謝してます。
---いい感じやったよ。毎回盛り上がっとったし。
ユータ 嬉しいす。惜しまれつつ、、
---惜しまれる暇もない感じやったけどな。
ユータ あっという間やったっすね、結構これからって感じもあったし。
---俺らの時代にも、良い感じに売れ始めたバンドがあって、さぁ今からメジャーデビューだ!ってタイミングで解散したバンドおったの思い出した。
ユータ いますよね。どの時代にも。
---見とる夢の大きさに、メンバーが耐えられなくなる。
ユータ 完全にそれ、あるっすね。
---これこのまま突っ込むと、普通の生活できんくなるって、メンバーの中に一人でもおるとそこで足が止まってしまう。
ユータ 言われたっすもん。「俺には G’JAPは重たかった」って。
---仕事に重きを置いて、その人の10年後、20年後を考えたらその方が正しいかったりする。
ユータ その人の人生ですからね。しょうがない。ただ、その人の人生にちょっとでも携われたのは揺るがない事実なんで。
---これからユータがいい感じなら余計にいーよな。
ユータ はい。そうすれば G’JAPもカッコいいままなんで。胸張ってそう言ってもらえるように思ってます。
---ピンになったの最近やんな?
ユータ 今年頭ですね。でもその時には寂しさとか、メンタル的な迷いは無かったすね。
---今は現場全部ピンで?
ユータ そうですね。コラボしたり。 G’JAPのhide-cは今もやってるんで、そこともコラボしたり。

---そして、今回のインタビューのメインディナーのジャマイカの話しにやっといけると。
ユータ そうですね。笑。ここからが山場です。
---今何分や?38分。まだいける。笑。
ユータ ジャマイカ行き、これ凄い展開なんですけど、、、例えばサッカーでも野球でも、プロのあの選手に憧れてって、あるじゃ無いですか。俺もそうだったんです。レゲエダンサーで、「あの人カッコいいな」って人と
活動する。それが今から行くジャマイカです。
---そーなんや。
ユータ 当時、俺が新潟で見たあのDVDに出てた人、その映像の中の人と俺がお互い認め合って、一緒にやるっていう。
---凄いなぁ。まさかDVDの中の人と一緒に踊って、ジャマイカ行く。 G’JAP辞めたで、その話が来た訳やな。
ユータ 完全にそうですね。あっちは待ってましたね。
---その絵を描けるというか、最近思うんやけど、結局は実行出来るイメージが作れるかどうかやもんな。
ユータ 俺は結構そこは根拠のない自信というか。それを掲げてまえば、後はやるしか無い。そうやってやってきたんで。
---逃げずにな。たいしたもんやわ。
ユータ そんな事無いす。でも絶対、誰かが見てくれてる。その時同じとこ目指してる人とかが絶対見てくれて、手を差し伸べてくれる。だからチャンスは自分で作るもんやなと。そのチャンスに気付けるか、と、そのチャンスを活かせるかが勝負やと思う。
---チャンスの女神には前髪しか無い。
ユータ どういう事すか?
---前からめっちゃ可愛い女神が来て掴もうとしても、通り過ぎたあとは後髪がないから掴めん。
ユータなるほど。それありますね。実際、今そうなんですけど、、、。
---じゃあ、今、眼の前にあるチャンスがジャマイカなんやな。
ユータ そうですね。昔憧れやった人と一緒に行くっていう。それがありがたいし。レゲエの本場ってジャマイカじゃないすか。レゲエやってる日本人の中でもジャマイカが全てって人もおれば、そうじゃないって人もいる。俺は後者で、全てじゃないって思ってる。俺、日本人やし、拠点は日本やし、日本のやり方があると思うし。でも、ジャマイカ行ったこと無い奴が、ジャマイカが全てじゃ無いって言うのも説得力ないなと。だから一回行って、ありのままを受け止めようって思ってたタイミングで大阪のそのダンサーから誘われて。
---世界大会に出ると。
ユータ ただ行くだけじゃなくて、大会があるでそれに出ようって。
---ゆうたら日本代表。
ユータ に、なれるかっすね。実際日本からは俺らしか出ないけど。
---どのくらいの規模の大会なの?
ユータ 世界大会すよ。こっちで言うレッドブルの大会みたいな感じです。
---おー、んー、かなりガチな?
ユータ ジャマイカのブーンって会社の企画する、サウンドのクラッシュの大会もあるし、ダンスの大会もある。今ジャマイカで予選をやってて、7月末に決勝なんです。
---そんなでかい大会にいきなり決勝からでれると。
ユータ そうすね。笑。ありがたい事にシード枠で、、、。挑戦しに行ってます。
---こないだ市役所であったもんな。パスポートゲットしてましたね。笑
ユータ これで世界一とれば、今後も変わってくる。日本人には日本人の良さがあるんで、そこを武器にすれば戦えると思う。
---8年前は考えられんかったやろうな。ナンパしとっただけやろ?笑
ユータ いやいやいや、される側だったんで。笑。でも本当、未来は変えるもんやなって思う。
---俺がインタビューした人、みんなそんな感じやもんな。本人がやりたいとこまではいけるみたいです。さて、そろそろ時間ですので、、、締めの言葉を。今後の目標とか。
ユータ お、締めますか。ざっくり言うと、俺にしか出来んことやり続けようと思ってます。ジャマイカでも自分のフィルター通して、いろんなもの吸収してきたい。
---ま、後は文章力で何とかしときます!笑。ありがとうございました。
ユータ インタビュー、全部で1時間50分すね。笑。文章力でなんとかしといて下さい!笑。ありがとうございました!
このインタビューが公開される頃、悪でっちYU-TAはジャマイカです。
悪でっちYU-TA インスタアカウントで最新のジャマイカの様子見れます。是非チェック!
https://www.instagram.com/lion_alone18

インタビューは90分録ったんやけど、後半全部カットしました。笑
悪でっちYU-TAなら飛騨、岐阜、日本、世界?を騒がす面白い事してくれると思います。
期待してます!
そしゃ、また!